Kaz Works

テクノロジーは人に寄り添ってこそ意味があるらしい

あるエンジニアの最期の挨拶

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エンジニアが死ぬ時はいつでしょうか

リストラされた時でしょうか

会社に多大なる迷惑をかけたときでしょうか

賞与を減らされたときでしょうか


私は、私は違うと思うのです

エンジニアが死ぬ時は、それは———


会社に居場所がなくなった時、それだと思うのです。

人は誰しも居場所を持っています。

リーダーとしての居場所、開発者としての役割、ムードメーカー、御用聞きなど、それぞれ名前すら無い立場というのも、あります。

その、チームとしての自分の役目が無くなった時、席が無くなった時、その時にああ、自分はここにいてはいけないんだとそう思うのです。

幸せな人生でした。40年以上、この世界でやりたいことを、やらせていただきました。ワープロパソコン通信、PC98の時代です。その時代から私はただ、ただ、好きなことをやらせていただきました。


人間は嫌いです。でも、パソコンは、ITは好きです。その好きなものを好きなだけやらせていただきました。昇給も出世もできませんでしたが、でも、自分の仕事がたまに、ええ、まれですが日経だとYahoo!ニュースに載ったときに、ああ自分は社会の一部として、ええ!微力ではありますが、役に立ったと、はい、そう思うのです。


N部長には長く、迷惑をかけました。私の、ええ、とるに足らないミスを、私に変わって謝っていただきました。その時の、たしかガストですか、客からのクレームを伝えてくれた時、そのときの顔口調ですか、そのことが未だに忘れられません。時々、夢に出てきてハッツ!と起きるのです。


あんなに部長に会社に迷惑をかけたのにお前はまだ会社にいるのと、そう私の中の悪魔がささやくのです。いえ、悪魔ではありません、きっと、囁いてるのはこの社会そのものでありましょう。でも、ずっとこれだけをやっていたのです。今さら他に何ができるでしょう。人とうまく調子の合わせることのできない人間です。タクシー運転も警備員も、私にはできそうもありません。そんな私は、ゴキブリのように這いつくばって、叱咤激励を受けながら、仕事をしていきました。十分すぎるお給金を、頂きました。部下を育てることもうまく、進捗報告を顧客に報告することもできません。ただ、ただプログラムを打ってきました。せめて勤務体系だけでも、と朝早くから出勤し、誰よりも遅く帰りました。


土日出勤を誰よりもしました。こんな時代です、残業と聞くと、無能のレッテルを貼られる時代に、会社に怒られながらも残業しました。それは無駄な残業代を稼ぐためではなく、この、おいぼれが、せめてやれることがそれだけだったのです。であればせめて残業代を返納すべきだと、言われればそれはそうです。でも、それすら言えない臆病ものです。


話が長くなりました、申し訳ないです。ただ誰がに聞いてほしくて、つい、長い、つまらない話をさせていただきました。


40年間ありがとうございました。


末筆ながら皆様の健康と、今後の我が社の発展を祈って、私の挨拶とさせていただきます。本当にありがとうございました。