Kaz Works

テクノロジーは人に寄り添ってこそ意味があるらしい

日向坂で会えなくて

渡邉美穂柿崎芽実ことがどうしても好きになれなかったのは彼女の笑顔にどうも影があるからに他らならない。顔が整っていてフランス人形のように可愛く微笑む彼女は、可憐という言葉がふさわしい。英語を喋るその唇、あざとい目線、整った耳元、そのすべてが渡邉美穂のコンプレックスを刺激するのに十二分な要素を含んでいた。嫉妬、と言えばそれだけのことかもしれない。いや、それ以上の要素を柿崎芽実は内包していた。つまり渡邉美穂の母性や尊厳そしてレーゼンデトールである。


彼女のようになりたいと思えない、いや、最初から目指す立場にすら立っていない。それは舞台の立ち位置で明白であった。私は所詮あなたの紛い物でしかないの、と。いや、私は私だ。代わりのきかない私でしかない。渡邉美穂という存在は唯一のもので、あるはずだ。あるはずなのに・・・


司会者が私の名前を間違えた。痛恨の出来事だ。まるで私がこの舞台からいる必要がない、そう宣言されたような気分だった。渡邉美穂は死刑囚のような気分を味わった。あなたが座る席はここにはないの、と。私がここに座る意味とは?それだけを延々と考えていた。バラエティーの収録中なのに。くやしくてくやしくてたまらないのを堪えて笑顔を作った。笑いにしなきゃ笑いにしなきゃと呪文のように心で唱えて。


「私はここにいるの」


それだけを心の中で反芻した。牛のように4つの胃でいつまでもいつまでも。


アイドルがアイドルでいる意味はなんだろうか?辞めたいと思った数は舞台で喜びを感じる数を多く上回る。テレビ東京の収録に向かう時に嬉しかった時なんて一度もない。自分をさらけ出して、おちゃらけて、道化を演じてテレビで放送される数はそれこそ、手で数えて十分に足りる。座っているだけでチヤホヤされるあの子やあの子と立場は違う。ハイエナのように死肉を食べるしかない。


私を見て

私を見てと呟いた、


明日、来年、再来年、私がここに座る意味はあるのだろうかと呟いた。そこにいる意味、意図、そして存在証明、代わりのきかないという、言い訳にも近い説明、それらをマネージャーに伝えることが出来なければとっくにアイドルなんて辞めている、いや辞めさせて欲しいのに。


辞めさせてくれないファンが仲間がマネージャーが、いや、一番自分を縛っているのは自分だ。そんなのはとっくに気づいていた。


立つしかないのだ、舞台に。今は答えが出なくてもいい、そう呟いた。


「いずれあなたと同じ舞台に立つから待ってなさい」

柿崎芽実に投げつけた言葉は音もなく楽屋に消えていった。