Kaz Works

テクノロジーは人に寄り添ってこそ意味があるらしい

惚れたり惚れられたり

「死んでよ!私のために、ここではやく首を吊って」

彼女の顔はまるで般若のように恐ろしく醜く変貌した。やれやれ、こうなると長くなるんだ。この人は。タワーマンションの27階から夜景を眺める、もう見飽きたいつもの光景だ。

「どうせ私のことなんてどうでもいいんでしょ?あなたは自分のことしか考えてない

いつだってそう、新婚旅行の時だってそうだったじゃない」

(おいおい、もう何十年も前の話じゃないか)

「あなたなんて言ったか覚えてる?」

(やれやれ、しょうがない。ここは謝るしかないな)

「ごめん、俺が悪かったよ」

「死んでやる!」

「そんなこと言うなよ。」

彼女の束縛が強くなったのは私の不貞のせいであるが、それにしても常軌を逸した私への管理は日に日に強くなっていて、それはまるで囚人とそれを管理する刑務官、のようであった。一時間に一回のLINE、GPSによる監視、もう飲み会もゴルフもキャンセルして、周りからは「付き合いの悪いヤツめ」と陰口を叩かれながらも、とはいえ離婚はしたくないしなあ、と毎日の苦行を歯を食いしばって耐えているのだった。怒ると見境がなくなるのを除けば可愛い人なのだ、この人は。


説教されながら頭の中を遠くに飛ばすのが夫婦でうまくやるコツだ。10年前に結婚した時のことを思い出してみた。確か友人の結婚式だったと思う。アルマーニを着て意気揚々と参加した僕は彼女に一目惚れして、ずいぶんと強引な手を使って付き合ったような気がする。たぶん「あなたは僕と付き合わないと不幸になる」くらいなことは言ったはずだ。それほどに彼女は魅力的で可憐な女性であった。料理もできない、子供にも興味ない、結婚相手としてはおよそ不都合のあるこの女性を愛したのは単に僕が変わっているからか、あるいは若さの持つ勢いか、そのどちらかだろう。


ともあれ僕たちは付き合い始め、普通の男女が過ごす日々をドラマチックとまでは言わないけれども、それなりに幸せに過ごした。トーキョータワーの夜景で、横浜でのイタリアンで、お台場での観覧車で、それこそ今では考えられない浮ついた言葉を交わした、はずだ。今はまるで思い出せないけれども。


子供には恵まれなかったけど、五反田のタワーマンションを購入し、ささやかな外車を持つことができた。もちろんいくつかの幸運がある。彼女の親が貿易関係の社長だったということ、そしてそんなに世渡り上手でない僕でもこなせる証券マンにとって業界がそこそこ好景気であったことなど。


彼女はワインソムリエの資格を取得し、知人を呼んではちょっとしたパーティーを開いていた。結婚してから始めた手料理もなんとか形になるぐらいになり、家には大抵なにかしらの生花があってそれは僕のちょっとした楽しみでもあった。


僕のほうも接待のためにゴルフを始めて、青年実業家やらベンチャー起業の社長さんやらと交流を深めていった。持ち前の能天気な性格を気に入ってもらうと、大口の案件を手配してくれるのだ。六本木や銀座なんかで飲むことが増えていき、どこからが仕事でどこまでがプライベートなのか、わからなくなっていった。


そんな時に厄介な女に出会ってしまった。キツネ目の女と呼ばれるような、目の細い狡猾な女だ。