Kaz Works

テクノロジーは人に寄り添ってこそ意味があるらしい

ハイネケンとギター

THEE MICHELLE GUN ELEPHANTが僕の時代にもたらせたものは、色々ありすぎてここには書ききれない。友人と行った代々木公園のゲリラライブ、夜のドライブで流したゲットアップルーシー、初めてギターを触った時に見よう見真似でやったカッティング、そして、ラストライブの日に2ちゃんねるハイネケンを飲みながら見た仲間たち、二十代の青春の中にミッシェルは確かにいた。初対面でも「なに?ミッシェル聞いてんの?いいじゃん」それだけで友達になれた。あの時のロックキッズの共通言語は間違いなく、ハイロウズブランキー、そしてミッシェルだった。


チバが吠える、アベが嵐のようなギターを鳴らす、ウエノがシブいベースラインを流す、キュウちゃんがうねるようなドラムスをグルーブする。それだけがかっこよかった。ロックに勝ち負けは存在しないが、間違いなく彼らのライブは勝ちだった。勝ちだと錯覚させてくれた。


代々木公園のゲリラライブにオレは知人と行った。雨の中、目の冷めるようなライブだった。DVDだってスレ切れるほど聞いた。いまはもう手放してしまったけれども。新譜のCDを開ける時のドキドキ感を、歌詞カードを丁寧に読みふける時の高揚感を、オレは知ってる。


フェイスブックで知り合った女性がイライラしながらミッシェルのことを語ってくれたのもいい思い出だ。なんにせよロック好きはめんどくさい生き物だ。


音楽はその人の欲望や内面を反映しているような気がするがミッシェルは日頃の鬱憤を晴らしてくれたり、破壊衝動を代行してくれたと思う。あのステージで大音量のギターを聞いたら、そりゃ日々の鬱憤なんて晴れるものさ。

 

もしかしたら鬱憤ばらしこそがロックの役割なのかもしれないね。