Kaz Works

テクノロジーは人に寄り添ってこそ意味があるらしい

いてもいなくても同じ

会社に属すると存在意義を問われることがままある。なんのために存在しているのか、誰のための部署なのか、あなたがここにいる意味はなんなのか、と。会社は利益を追求する悪魔である。社員を働かせようとあれこれ知恵を絞る。それが給与体系であり、昇給であり、ポジションである。餌を撒き社員を働かせる、働かないものは切り捨てる。本質を突き詰めると利潤を生むために存在しているのが会社と言っていい。リーダーになると与えられるものが「頼られる」という麻薬だ。オレがいなくては回らないと言う幻想を植え付けることによって働かせる。会社に縛ろうとする。しかし、あなたがいなくてもプロジェクトは回るし、なんならそのプロジェクトがなくても会社は回る。いや、回らないのであればそれは個人の責任ではなく組織の責任だ。会社がよく使うのは飴と鞭だ。飴が給与であるなら鞭はなんだろうか?肩叩きも一つの手だが、実は日本では難しい。法令違反を犯したりしない限り正社員を切るのはハードルが高いのだ(派遣社員は別だ。あれは都合よく社員を切るための制度である。)よっぽど経営が傾かない限りリストラというものは敢行されない。給与を減らすのも、また難しい。これからは働き手の奪い合いだ。少なくとも10年間、エンジニアは売り手市場であり、人が集まらなければ会社はなくなる。初めの給料が良ければ人は集まるが、定年までいてもらうためにはやはり、給料を上げてゆくしかない。


大丈夫、あなたがいてもいなくても、会社は動くのだ。