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やなせたかゆきの死に寄せて

伝説のパンクロックバンド、ザ・ヘッズのリードボーカルであったやなせたかゆきが、2019年4月1日に亡くなった。享年54才であった。◯◯◯オーケストラのプロデューサーとしても知られ、日本のパンク界に多大なる影響を与えた。俳優の大井康平、映画監督の吉田洋一、芸人のいったりきたりなど、彼を信仰している熱狂的なファンを上げればキリがない。決してヒット曲に恵まれていたわけではないが、高度成長期の浮かれた日本で、渋谷のゲリラライブや、反原発を掲げた「ロックン・ロールを止めろ」の発売禁止など、日本のパンクシーンの中心に間違いなく彼はいた。全国ツアーの映像をまとめた唯一のドキュメンタリー映像「やなせたかゆきのリアル2001 -2010」は全国23カ所で上映され多くのファンに衝撃を与えた。ビルボード誌は「日本で唯一パンクスと呼ばれる表現者」と評した。


2013年にはドイツの伝説的フェス「モンスターパンクスフェス」に日本人で始めてオーガナイズされ、23万人のパンクスを魅了した


・やなせたかゆきが残したもの

海外では多大なる影響を与えたバンドであったが、日本では徹底的に彼を無視続けた。FM放送では、事実上、彼の音源を放送することを禁止し、唯一彼とメジャー契約した西芝EMIは2015年に契約を破棄した。理由は「契約上、会社に不利益な行為があった」としているが具体的な内容は明かされていない。メジャーからインディーズにシーンを変更したがその後シーンの話題になることはなく、ついに2018年にザ・ヘッズは活動を停止することになった。


・フォロアー達の台頭

トーキョーボーイズ、ロックベアー、スーパーチャイニーズなど彼をリスペクトするバンドは枚挙にいとまない。毎年パンクスを集めるモンスターロックフェスジャパンの主催者は「彼がいなければ日本の音楽シーンは10年遅れていた」と評価している。

当時は英語で歌うことが通常であったパンクロックシーンで、「日本語で歌うこと」にこだわりぬいた、やなせたかゆきは、1988年に日本語パンクの傑作「蓼食う虫も好き好き」をリリースした。日本人による日本のためのロックアンセムが、ついに形となった記念碑的な作品であった。