Kaz Works

テクノロジーは人に寄り添ってこそ意味があるらしい

光画部発足30周年によせて、愛を込めて

タワバ先輩とトサカ先輩が現在の光画部を作り、二期生のサンゴや浅野、キシダがそれを引き継いだ。1985年の話だ。学生運動が下火になり、バブル期にさしかかろうとしていた時代に生きた僕たちは、そういうムーブメントをや風潮を、どこか白けた目線で見ていた。つまりは当事者になることを避け、恋愛も熱血もしない、どこかしらそれらを冷めた目線で見ていたのだ。熱くなることもしない、どこか肩の力が抜けた感覚がそこにはあった。本気になることをどこか避けていたのだ。そのかわりバカバカしいことだけは本気でやった。学校の籠城、生徒会との確執、新人コンパなど、それらは楽しんだら勝ちというよくわからない熱意で動いていた。本気にならないというある意味で逆説的な熱意、それらは光画部の唯一(と言っていい)のアイデンティティであった。フィリップ・K・ディックヒットラー第二次世界大戦もそういった知識は誰よりも持っているくせにひけらかすのはなるべく避けていた。それは必ず衝突を産むからだ。しかしわからない程度に見せるのは高貴に見られたいと言う浅はかな願いからだろうか?それは今のぼくには説明することはできないし、誰も自分のことを正確に説明するのは難しい。そうは思わないだろうか?僕たちは熱血のラガーマンにもなれなかったし、文学を志す学徒にもなれなかった、ただそれだけのことだ。


ぼくたちが避けていたのは性欲なのかもしれない。SEXというものがなんとなく恥ずかしいもので、いずれ大人になればしなければならない行為を避けていたし、今やらなければならない事ではないような気がしていた。人はほっといても恋をしてSEXをして子供を産むものだ。


物語を喜劇にしようとすることで僕たちは勝とうとしてたのかもしれない。何と戦っていたのかは判らないが、トサカさんは常に何かと戦っていた。時に生徒会であり、野うさぎであり、OB会であったりした。彼に必要なのは戦う理由をもたらす敵であった。ちょうどチェ・ゲバラの人生が、革命ではなく、戦いそのものが目的になったように。仮想敵を作ることで僕たちは団結したし、光画部は保たれた。つまりはトサカさんや僕たちが戦い守ろうとしたもの、それは居場所だったのだ。


諸君に伝えたいことは、居場所というものは戦うことで守り、そして継続するということだ。諸君が今、当たり前のようにあるその部室や備品は諸先輩方がかつて血の滲むようような努力を重ねて守ったものである。しかし光画部はそれをさらけ出すことなく、さらり、と実施しなければならない。今後100年続く部活として(もちろん学校がなくなれば不可能な話であるが)生き残るには、光画部イズムとも言えるその思想をどうかご理解いただきたいと思う。


以上、簡単ではありますが、光画部発足30周年の喜びの挨拶とさせていただきます。本当におめでとうございます。