「だいたい、和尚が小説を書かなきゃいけない理由なんてないんです。でも書かなきゃいけない、書くことになっている。これも矛盾です。」
「はあ...」
わかったような、わからないような曖昧な返事をする。
「思うのはこれだけAIに従事しててシステムの核心だとかそういうものに熱中してる自分がいる一方で、すごく冷めてる自分もいる。スマートフォンで恋愛はできないし、子育てなんてもってのほかだ。であるならこんなもの生きるのになんの意味も持たないんじゃないかって」
「仏に逢えば仏を殺すという言葉があります、つまり禅を極めれば禅そのものに執着する必要がないということです。畑を耕して食事を作り食べる。くそをする。寝る。禅と離れられられた時に初めて禅の教えに近い生活を送れるのかもしれません。」
「仏を殺すって随分と過激な言葉ですね。これからシステムはAIはどうなったらいいんでしょう?この日本の科学の進歩が進んでる一方で人々の幸せとかけ離れた社会になってるような気がするです。」
「遺伝子を調べて子供を産むべきか産まないべきか選べる時代ですからね。」
「あなたたちの作品を見てると東洋だとか西洋だとかを超えている。8つの手を持った神様なんてあらゃ外国の人にはわからないんじゃないでしょ。」
「僕たちがやっていることはわからなくてもわかっていてもどっちでもいいんです。大切なのは、なにかを感じたってことになるんです」
「はははぁ、なるほどね。」
「外国に行って、宗教だかなんだかわからないシンボルを見て、なにか感じるでしょう?こりゃ理屈じゃないんです。なにか感じた、それが一番重要でして、映画っていうもそれができるのが一番なんです。」
「仏教だっておんなじものですよ。曖昧模糊としたものを、絵や書道、そして音楽で表現しようとする。この掛け軸をご覧なさい(壁に掛けてある掛け軸を指差す)」
「こりゃ、鬼ですか?」
「あなたにそう見えたんならそうでしょう
じつはこれは仏様の裏の顔なんです」
「なるほど。」
「そういった話のタネになる、キッカケになる。掛け軸はよくできたシステムだと思いますよ。」
「システム、と表現するところに面白さがありますね。どこか一歩引いた感じがある。」
「そうですね、たしかに冷静な部分がある。仏教というのはどのように伝わって、どのように広がるのか、いや、広がるべきなのか。そういうことを考えてるとある意味、打算的というか、客観視しなきゃならんのですよ。主観というより、一歩引いて俯瞰的な観点で物を考えなきゃならない。あなたたちで言う、プロデューサーの仕事ですな。端的に表現するとお金の計算をせんと、いかんのです。」
「和尚はこういった異業種交流会というのはやられるですか、しょっちゅう」
言った後に後悔した、くだらん質問だなあ、と。
「そりゃ呼ばれれば北海道だろうが沖縄だろうが足を運びますよ。先月はえーと...何処だったか(マネージャーに尋ねる)」
「(こそっと)ドイツのベルリンです」
「そうそう、そこだ。わざわざ行きましたよ。なかなか面白い国ではありました。ただあそこには文化がない。まるで血の通った人というものを感じませんでしたね。」
「わかるもんですか?そういうものが」
「話していればわかります。そしてなぜ呼ばれたのかもね。心の拠り所というんでしょうか、そういうものが希薄なんでしょうな、あの国は。これは批判ではなくただの感想です。」
そうして寂しそうな顔をした。まるで人類の罪を背負ったような悲しい顔をするのだ。この人は。