Kaz Works

テクノロジーは人に寄り添ってこそ意味があるらしい

死について僕たちが考えなければならないこと

この記事で取り扱うこと

Cはすでに死んでいる。生きているとは「望むことができること、昨日の自分と今の自分が一緒であるということ。」

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脳のアップデートが可能で、別の体に能を移植することができれば

それは

 

なぜ死ぬことが悪なのか?

望むことができないから(食べる、恋をする、金をかせぐ)自殺することは悪いことではないし、魂というものは存在しないと考えるのがこの本のいいたいこと。しかし、それに同意する必要はない。死について考えるきっかけを作るのがこの本の目的。

 

死ぬことが大切な理由

  • 死ぬより生きていることの方がつらい。900年生き続けるより、期限を決めたほうがつらくないのではないか。
  • 金持ちも不幸なひとも平等に死は訪れる、死は世の中の不公平を平等にしてくれる。
  • 自殺すら正しいことのように思える。自分の命は自分の意思で扱うべきで、他人が決めることではない

人は死ぬことを客観的に知っているが主観的には理解していない

人が80~100歳で死ぬことは誰も反論できない事実である。しかし知識として知っていても頭で理解しているとは限らない。どこかしら他人ごとのように『人は死ぬ』という事実を語っている。なぜならば死ぬとは悪であるから。自分が望むこと、食べる恋をするそれらが達成できないから、死ぬことを受け入れない事実としてあつかう。

なぜ死ぬことは悪なのか?

死ぬことは避けるべき事実であるのはほとんどの(と言っていいだろう)人の願いであり目的であろう。一部の不幸な人をのぞき人は生きることを自然に望みそして未来も生きている前提で物事を考える。

きっと多くの人が死にたくないと思っている(サイコプラス)

 

死がわからないから不安になる

いったい死とはなんであるか。意識がなくなるのか苦痛を伴うのかそれとも何も感じないのか。我々は死んだことがないから、誰もそれを説明することはできない。想像することはできる。しかしそれを100%理解するのは不可能である。だからこそ、それらが我々を不安にさせるのだ。不安=悪になる。

死を考えることはアイデンティティーを考えること

P機能(人間らしいふるまいを行うための機能)を失ってもそれは生きてると言えるだろうか。意識を失い植物人間となった人は果たして生きていると言えるだろうか。

人は自分が思っているより利口ではない

人間は自らを知的な生物だと思い込んでいるが実はそれほどでもない。自分の意思とは異なることをよく行動する。死についてもその事象がある。自分に訪れることは知っているがどうも当事者意識がない。ファンタジーやおとぎ話のように思っている。自分が死ぬことは知っていても、信じてはいないのだ。無意識に不死だと思っている。あなたは明日、死ぬことを想定して行動しているだろうか。おそらく大半は、明日生きていることを前提に行動しているのだはないだろうか。

自死は悪なのか

 

自ら命を絶つ自死は悪いものだと一般的に考えられていますが果たしてそうでしょうか。自分の命を自分の思うように使うことはその人にとって正義である、と思います。他人にとっては悪かもしれませんがその人の人生を決めるのはその人です。親が泣くという理由でバッシングする人もいますが、親のために人はいきているのでしょうか?自分のためではないでしょうか?

 

 

「死」とは何か イェール大学で23年連続の人気講義

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