Kaz Works

テクノロジーは人に寄り添ってこそ意味があるらしい

今日、最後のオフィスで

f:id:kazuun_nabe0128:20191101080827j:image
段ボールから様々なものが出てきた。田中は手を止めてそれを見る、写真、研修の資料、仕様書、など。それらはもう必要ないものだ、今日、必要なくなるものたちだ。最後の日にパソコンを片付ける、明日からはタクシードライバーだ。コンパイル、デバック、エディタ、サーバーそれらの知識は全て不要になる、この日を境にして。色々なことがあったような気もするし、まるでなかったような気もする。何せ30年の歴史がこの机に詰まっているのだ。辛いことの方が多かった。京浜東北線に乗るときに楽しかった思い出は一度もない。以来、休日にこの鉄道を使うことはなくなった。プライベートの時間で仕事を思い出したくないからだ。


「田中さん、辞めるんですか?みんな知らなかった、って言ってますよ」

後輩から声を掛けられて動揺する。

「ああ、誰にも言ってないからな」

笑ってもらおうと、愛想笑いをしたがキョトンとされてしまった。当然だ、あんなに会社に迷惑をかけた人間が去るのだ。田中というエンジニアは今日で死ぬ。あまり、目立ちたくない。

「みんなびっくりしてますよ。誰にも言ってないから。次の仕事はきまってるんです?落ち着いたら飲みましょうよ」

岡崎と言った。

根回しの効く愛想のいい奴だ。たぶん、この会社で生き残るのはオレではなくこういうやつだろう。いわゆる、要領の良いヤツってことだ。

全てを憎んだ、会社を客を、果ては社会を。一緒懸命に生きた、しゃべって、レビューして徹夜して、最終的な仕打ちがこれかと、嘆いた、そんな夜もあった。新橋のスナックの話だ。

「なあ、すまないが・・・」

言いにくそうに口火を切った。

「オレだと思って、この名刺用紙を受け取っちゃくれないか?家に置いてもおっかさんが煙たがるんだ」

「はあ」

不思議そうな顔をする。何もできなかったし、何も残せなかった、ただ。おれは一生懸命に生き、そして、最後には報われる、そう思った。しかし、最後には要領の良さがこの会社には残るのだ。と。うまく人に仕事を押し付け、自分は安定したポジションにいる、客と喧嘩はしない、部下は守らない、利益を優先する。そういうのが会社には必要なのだ。部下の休みを巡って銀行と喧嘩しちゃだめなのだ。

大企業とは言え、海外のデジタル革新の波には勝てるはずもなく、次から次へと買収され、分社化され、部門の切り売りが断行された。おれもその煽りを受け「希望退職」という名の人選整理を受けた。自分ではやれてたつもりだった。だったが、会社は評価してくれなかった。まあ、いいさ。もともとエンジニアなんてそんなに興味があるわけではない。嫌々やってた仕事だ。あしたからタクシーで嫌な上司と顔を付き合わせない、自由気ままな生活をするさ。仕事をしたい時にして、休みたいときに休む。年収は相当落ちるだろうが、娘ももう独立している。嫁だってパートを始めた。二人と小型犬を養うには十二分に蓄えがあるのだ。


「なんです?それ」

岡崎が指さしたそれは10枚のA4サイズのコピーだった。

(なんだろうな?)

まるで覚えがない。なにか重要な設計書だろうか?重要機密は廃棄するようにしている。そういう慎重さはだれよりも持っていた。

「ああ・・・」

そう漏らして、頬が緩む。まだこんなもんが残ってたんだな。

「同期との写真だな、もう何年も会ってないが」

「へー、皆さん若かったんですね、昔は」

「そりゃ、はじめからおじさんおばさんってわけじゃないんだぜ。お前にもおじさん、って呼ばれる日が来るさ」

同期と一緒に撮った熱海の研修旅行の写真ではみんなが笑顔だった。もう、半分も会社には残っていない。若いってのはいい、なにも怖くないからな。失うものも守るものもない。夢にあふれている。そしておれは歳を取った。夢も希望もない。あるのは住宅ローンと腹にたまった中性脂肪だけだ。

「今のうちに貯金しとけ。経済感覚が乏しい男に女は寄ってこないぞ」

「へーい、真摯に受け取っておきます」

「お前は、最後まで減らず口が治らないな」

ポンと頭をたたくふりをする。出社最後の日に声を掛けてくれる人がいる、それだけでありがたいことなのだ。