Kaz Works

テクノロジーは人に寄り添ってこそ意味があるらしい

ナチュラルに恋して

新宿の本屋でドヤガオで闊歩している馬鹿なカップルがいる、洋書や哲学書やら高そうな本を買っていて、たぶんお洒落な棚に飾るためだろう、と決めつけた。決めつけるのがおれのよくない癖だ。よくないと思いつつその癖が抜け切れない。一人、高そうな書店で買い物をするのは気がひけるし、いつまでたっても慣れない。ツタヤか地元の寂れた本屋で買い物をするのが性に合っている。身の丈に合わない、ということだろうか。小説好きな人々に囲まれるとどういった本を選べばいいか、悩み込んでしまうのだ。いま、ここで、おれが、読むべき本とは?いや、そんなのが初めから存在しないし、気の向くまま読みたい本を選べばいいだけなのだ。ただ時に読むべき本を選ばないといけないような気がしてくる。日本文学、哲学書、SF作品、往年の名作、など、「え?こんなのも読んでないの?」といつか言われる日が来るかもしれないと、戦々恐々としてしまう。そんな日は永遠に訪れないに。もっとシンプルに自由に本が読みたい、エロ本だろうが、漫画だろうが、心のおもむくままに。ドフトエスフキーだってナチュラルに読みたいのに。