「思えば家内との生活が私にとって全てでした。彼女を失った今、わたしには生きるための意義というものがうまく見つけることができません。昔、2人で歩いたけやき道、一緒に食べた柏もちが美味しい甘味処、手を繋いで見た桜、それらが思い出と共に蘇ってきてどこへ行く気にもなれません。わたしにとって家内は自分の全てでした、でも彼女にとってはどうなんでしょう、少し違っていたのかもしれません。わたしのほうが先に死ぬべきだったのです。今はそう思います。私がいない、自分が自由にできる世界、それが彼女の生きたい世界だったのかもしれません。彼女を何より縛っていたのは私だったんです。一挙一等足をいちいち干渉せずにはいられなかった。告白すると彼女の携帯電話を逐一チェックしていたのは誰でもない私です。」
「先生、男なんていつだって女を追いかけたいもんです。例え長年連れ添っていても心の全てをさらけ出さないというのが奥さんの優しさだったんじゃないですかね?ずっと恋できてたって...考え方によっちゃ良かったことかもしれませんよ。」
「それでも僕は彼女のことを知りたかった。」
「じゃあ故郷を訪れたらどうですか?一度は行ったことあるんでしょう?」
「...」
「どうしたんです?」
「驚いたな、君に言われるまでその事実に気がつかなかった。私は彼女の故郷すら行ったことがない。この僕の故郷へは散々付き合わせたのに。」
「君は結婚したことはあるのか?」
「いま、結婚10年目ですよ。子供ももう小学生、下の子は幼稚園に通ってます。」
「そうかね...子供は大切にしたほうがいい、国の宝だ。」
「驚きましたね」
「何がだ?」
「先生が子供について話すなんて、以前は嫌いでしょうがないっておっしゃってたじゃないですか?」
「そうかね」
「そうですよ」
「そうか...わたしはそんなことを言ってたか」
「そうですよ、センセ」