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テクノロジーは人に寄り添ってこそ意味があるらしい

恋のバトン

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例えば余命5年だとして、自分がやりたいことをやっていいとして旅行なり、娯楽なりそういう浮かれたことがまるで思いつかない、そういう人間がいたとしたらそれはたぶん私です。25年間、タクシーのドライバーをやっておりました。雨の降る日も雪のしんしんふる日も何も疑わずにハンドルを握り、言われたことをしておりました。そんな私が恋をしたとして、腹のでっぱりが気になったり頭の禿を隠すようなことをして、知人に笑われるのはどうしても理不尽に思えるのです。

 

高本哲と申します。
恋をしたのはいつも行く定食屋で働く女性です。サオリさんという名前の可憐な女性です。よく笑いよくしゃべる人でした。一目見て心を奪われました。学生の頃以来まるで女性としゃべったことがないためでしょう、私は胸がどきどきするのを止められませんでした。恥ずかしいことです。


「たかもとさん」
と声をかけられました。近くの商店街で野菜を買っていた時です。はじめはだれだろうと思案しておりましたが、ああ、あの人だと気づきました。髪をおろしているため気づかなかったのです。普段と違い少し色っぽく見えました。もしかして夕暮れのせいかもしれません。たわいもないことをしゃべりました。普段のこと、時事、職場のこと、帰りまでの家路に二人で歩き、私のつまらない話を嬉しそうに聞いてくれました。空には星がちらちら輝いておりました。4月にしては少し寒い夜でした。

 

サオリさんは薄紫のストールと白いワンピースを着ておりました。ふとサオリさんの指を見ると薬指に指輪をしておりました。なあんだ、と思いましたが同時にほっとしました。これほど魅力的な女性に旦那がいないわけなんてない、そのような類の安堵でありました。もしこんな女性が結婚していなければ、そんな社会は悪でしょう。独身なんぞこのような45歳でなんの特色もないつまらない男の責任でやったほうがいいものでありましょう。ショックとともになにやら神に感謝したい気持ちになりました。なあんだ、そうか、私の久方ぶりの恋はたった一週間で終わりました。まるでセミの一生のように短い恋でありました。
「あ、そうだ」
サオリさんはおもいだしたように、私の手を握り、なにかを渡しました。このようにあどけない行動で何人の男を泣かせたのでしょうか。でもそれは彼女に罪があるわけではないのです。
「なんです、これ?折り紙のようですが」
「つまらないものなの、はずかしいから家で開けてくださいな」
「はあ・・・」
どうにでも取れる返事をしました。
「さようなら、またお店に来てくださいね」

遠くに見える彼女をいつまでもいつまでも眺めておりました。普段とおなじ道なのになんだか今日は美しく見えるのでした。私は胸のドキドキが止まらず少し歩くことにしました。吉祥寺の夜は歩くのには少しつまらないのですが、でもいまはその平凡さがなんだか心強く思えました。
「ふらふらと帰り道~~~」
昔の自分の好きな歌を歌いました。だれの歌かまるで思い出せません。ドラマの主題歌だったと思います。ただその世界観がなんだか今の自分の気持ちとぴったりだったのです。おとこがひとり恋をしてふられるただそれだけのことです。月が大きくみえました。普段見ない東京の空を見ました。私はどこまでもひとりですが、決して不幸というわけではないのです。
家に帰りました。安いアパートにひとりで暮らすとなんだかその部屋が自分の一部のように思えます。およそ他人の思考というものがここには存在しません。それがなんだか、さみしくもあり、同時に頼もしくもあります。お湯を沸かし熱いシャワーをあびます。巨人戦のハイライトを見ながら発泡酒を飲みクラッカーとえだまめを口の中に放り込み、もぐもぐと食べます。いつもの日常です。私はさみしくないのです。ふとサオリさんからいただいた、おりがみ、のようなものを手に取ってみました。丁寧に4つおりになった紙からはつがいの鶴が出てきました。青と赤の鶴でした。
一方は大きな、もう一方は小さな鶴です。それはどう見ても夫婦を連想させる鶴でした。ハンカチを送るのは決別を意味しているとどこかで聞いたことがありますが、つがいの鶴を送るというのはどういう意味を持つのでしょう。スマートフォンで調べてみましたが答えは見つかりませんでした。恋のバトン、という言葉がふと思い浮かびました。サオリさんが持っていた恋を私が受け取ったように思えたのです。私は随分と納得した様子で、一人煎餅布団で寝ました。45の男がすることといえば屁をこくか、一人寝るしかないのです。