Kaz Works

テクノロジーは人に寄り添ってこそ意味があるらしい

夜明け前

月がやけに明るい夜であった。徳川幕府が敗れ、国は政権を巡って争い、国が疲弊していた。皆々は不安を抱えていた。しかし何処か希望(のようなもの)を感じているから不思議である。板垣の命を狙うために、藤井は胸に拳銃を忍ばせていた。上野から池袋のどこかで、板垣は下車するとふんでいた。大崎のすき焼き屋で夕飯を食べるのが奴の習慣であることは、どこの大衆居酒屋でも耳にする常識であった。

皆、政府の悪口ばかりである。誰もが政府をアメリカを罵っていた。

(自分では何もできないくせに悪口だけは一丁前だな)

藤井は卑怯者が嫌いであった。嫌悪していたと言っていい。父親からは幼少の頃より、口を酸っぱくして言われていた。「卑怯者だけにはなるな」と。

(事をなすには自らの手を汚すしかあるまい)

「ネズミがいるな」

「は?」

板垣は恐ろしく慎重な男であった。たとえ酒の席でも一合以上は飲まないと決めていたし、寝床には刀を置き、懐には常に拳銃を忍ばせるほどの徹底ぶりであった。今は桂と板垣しかいない、いないはずであったが板垣は微妙な空気の乱れを感じ取っていた。

 

(今夜はやめておくか)

藤井は音もなく去った。なあに、チャンスはいくらでも転がっている。寝床、仕事場、食堂、どこでも奴の命を狙ってやる。事を急ぐと物事がうまくいかない。40歳で思い知った人生哲学のようなものだ。

 

青梅街道をひとり、練り歩く。東京は街灯が光っていたが、西東京はがらんとしている。虫の声と闇しかない。とぼとぼと歩きながら何を考えるでもなく、いや、考えている。国家を天皇を、この国の先の行方を。しかし考えがまとまらない。ぶつぶつと断片的なアイデアしか思いつかず、それらがまったく線にならない。こんな時は昔のことを思い出すようにしていた。学生時代のとるにたらないエピソードだ。恋をしたり、蹴球(当時のサッカー)で骨を骨折したことだとか、そういうことだ。