Kaz Works

テクノロジーは人に寄り添ってこそ意味があるらしい

ある中年の憂鬱(中編)

またため息だ。数えてみたら今日だけでもう10回はため息をしている。嫌だ嫌だ。プロ野球、競馬、居酒屋全てが自粛でやることがない。テレビもつまらない。上司もなんだか機嫌が悪い。汚いおじさん同士がしゃべるのだからそりゃ気分も滅入る。ふと新入社員を見るとハツラツと仕事をしている。私もかつてはこのように仕事をしていたのかしらん、と遠い目をしている。

「ゴールデンウイークはなにするの?」

「友達とキャンプですね。こう見えて私、アウトドア派なんで」

なるほど、キャンプブームと聞いていたが今の若いものはキャンプをするのか。そう言えば若い頃はバイクに乗って野宿をしたもんだ。学校に忍び込んだりして、今やったらすぐに逮捕だな。

街へ繰り出してはなにか楽しいことはないかと探してみる。本屋やら家電量販店など、心動かされるものはそこには見当たらなかった。私が欲しいものはここにはないのだろうか。ウォーキングマシーン、加湿器、スピーカーその全てはおよそ私には関係のないものであった。とぼとぼと小さくなって街を闊歩する。皆楽しそうだ。私だけが人生を楽しんでないように思えて惨めになるのだった。40を超えて楽しいことが無くなってしまった。野球をやろうか、バイクを始めようか、バンドを組もうかと色々と考えるのだが、家族のことを考えると躊躇してしまう。これは言い訳か。世の中年男性は果たして何をして休日を過ごしているのだろうか。うーむ、自分が一体何をしたいのか分からなくなってきたぞ。まあそんなもんだよな、と思う時もある。毎日が楽しいことで溢れてるわけがないのだ。たまにウキウキすることがあればいいと思う。子供はいい。毎日が新鮮で驚きの連続だ。なにをしても何を食べても楽しい。