Kaz Works

テクノロジーは人に寄り添ってこそ意味があるらしい

世界を知ることなどできない

ファスト映画やTikTokが流行り、世の中のコンテンツ消費は加速を極めている。サブスクリプションサービスにより無限にコンテンツは生まれる。その多さに時間がついていかない人のために、いかに早く映像体験を消費するかというニーズを満たすのだろう。しかしながら映画館で2時間、ゆっくりと映画体験することとは本質が異なる。前者は知識を埋め込むことであり、後者は体験である。それのどちらが正しいものというわけではないだろう。「あれ、見てないの?」と他者から問い詰められることはままある。流行りに乗っかろうとすれば、最新の映画はチェックしなければならないし、鬼滅の刃は知らないといけない。そのこと自体は自然な行為であるし、否定されるものではない。皆、共通言語が欲しいのだ。それがプロ野球であり、オリンピックであり、ドラマであったりした。ただ、私自身は消費されるコンテンツより、一つ一つの作品とゆっくり向き合いたい。年間100冊読者するとか、新作アニメを全てチェックするのは不可能だし、疲れる。誰でもなく自分自身のためにエンタメコンテンツを体験したいからだ。まあ、ある意味でチェックすることと深く体験すること、それらをうまく住み分けすれば良いのかも知れない。YouTube大学でアニメ、本の紹介をザッピングして、気になれば深掘りする。チェックして、体験して、チェックして、体験。両輪の輪であり、どちらも必要なものなのだろう。