Kaz Works

テクノロジーは人に寄り添ってこそ意味があるらしい

熟れた毒リンゴ

「私は罪を犯しました。汚れた果実を食べたのです。身も心も汚れてしまいました。もう娘を抱く資格もありません」

「人は過ちを犯すものです。しかしその過ちを認めやりなおすことのできる強さをもっています」

トーマス神父はケイトの肩に手を置いた。グローブほどの大きな手にはたくましく剛毛が生えておりそれは西海岸の片田舎にある小麦畑を想起させた。

(この手で一体どれほどの女を抱いたのだろう)

ケイトは神父の右手を眺めながらふとそう思った。ちょうど街では神父に対する“ある疑惑”の噂話で持ちきりだった。夜な夜な女性信者を神父の家に招き寄せているというのであった。そこでなにが行われているかはわからない。わからないが悪い噂が流れるには格好の材料であることは間違いない。こんな田舎町では娯楽などゴシップや噂話ぐらいしかない。人間より鶏の数が多いというのがこの街での自慢話であった。噂はよりセンセーションな内容へと改変していった。大衆は真実より願望を信じる。

 


ステンドグラスからは西日が溢れていた。ケイトは昔の事を思い出していた。優しい母が作るシチューの匂い、頑固な父の顔、まだ元気だった飼い犬のジョン、そして憧れのマリー、その全てが懐かしかった。最後に旅行へ行ったのはいつの頃だろう。腹を抱えて笑うこともなくなった。なにを食べても感動しないのだ。最近は娼婦の香水でしか興奮することができないでいた。そういえばサキュバスは夜な夜な悪夢となって、男の精子を吸い出すと言っていた。ケイトにとって娼婦はサキュバスそのものであった。銀貨という銀貨を奪って行きついには親の貯蓄まで手を出すのであった。若い頃に借金では散々苦労した。もうあんな思いだけはしたくない。

 


「パンとワインがあったら貧しい人に与える、私はそんな人になりたいと思っています」

神父がふとそう話し始めた。

「人はそれを偽善と言うかもしれませんね。しかしそれは私のためでもあるのです。人の役に立つと実感した時こそ、人は幸福になれるのです」

「立派な考えだと思います。しかし、私は・・・」

ケイトが口を開けたところで神父は遮った。人に説教を邪魔されるのが酷く嫌う。この男は自分に酔っているサタンそのものであった。

「チャンスは誰でもあります。遅すぎると言うことは無いのです。変わろうと思った時に人はもう変わっています」

教会というのは片田舎にとって絶対的な存在である。政治でありコミュニティであり教育であり、またビジネスでもある。どんな色魔であろうと聖職者として認められるし、市民にとっては聖職者でなければならないのであった。矛盾を認めながら人は生きていかねばならなかった。ダブルミームと人はそれを呼んだ。平和を保つための戦争、愛を保つための浮気、平等を守るための差別など。ケイトは神父の汚れた瞳を見つめながら、そんな事をぼんやりと考えていた。

(矛盾を孕んでいるからこそ人は生きていけるのか)