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テクノロジーは人に寄り添ってこそ意味があるらしい

緊急事態宣言は1ヶ月延長された

日本は安堵とやはりそうかという、諦めにも似たため息で包まれた。もちろんオレが直接この目で見たわけでも感じたわけでもない。そういう情景を思い浮かべただけだ。早ければ半月後には解除される区域があると国のトップは説明した。額に汗をかくでもなく淡々と読み上げられたその宣告に何人の事業者が涙を飲んだのかはわからない。中小企業に200万円、個人事業主に100万円、そして個人一人一人に10万円の給付金が支給される。返す必要のないゲンナマのその値段が高いのか低いのかは俺はわからない。ただ10万円の使い道を思案しながらカップラーメンを食っていた。10万か・・・パチスロで一瞬だな、と思った。自粛ムードで細々と営業しているパチンコ屋には行きたくない。あの喧騒とスタッフの意味のない煽りのアナウンス「じゃんじゃん出しちゃってー」「8番様大当たり開始!」それらが今は恋しい。スマートフォンのゲームしかやる事がない。散歩も三日で飽きた。家で筋トレするか(しゃくだが)仕事をするか、それしか思い付かなかった。休日に仕事をする輩を俺は嫌悪していた。人生は楽しむためにあると、何かの小説で言っていた。間違いなく、人生は楽しむためにある。苦しむためでも誰かのために生きるわけではない。自分だ、自分のためにあるのだ。酒の量が増えて、空き缶やペットボトルが増えてきた。タバコの量も増える。SNSで意味のない事を呟く。いや、この世に意味のあることなんて存在しないか。

この国のトップはペッパー君を想起させた。まるで感情のない抑揚のない声だ、我が国は、アメリカと、感謝の意を、その全ては誰かに指示されて読み上げているのが見え見えだった。野党が給付金の値段の根拠について難癖をつけた。足の引っ張り合いのプロレスを俺たちは見させられている。いや、それを望んでいるのはあるいは俺たちか。